大丈夫な日記

41で事実婚、42と43で出産、なんとかフルタイム勤務中。

被災と偽善

西日本の大雨災害に遭われた方に

心からお見舞い申し上げます。

 

私の実家にも避難準備情報が出て

母は避難しました。

(川がすぐ近いので)

また、ニュースで偶然、

昔付き合っていた人の実家にも

避難勧告が出ていることを知り、

久々に彼のことを思い出しました。

 

彼の実家は、阪神大震災でも被災していて

彼はよく、被災ボランティアのことを

「偽善じゃ」と言っていました。

自分は安全な立場にいて、

かわいそうだからと手を差し伸べるのは

偽善だと。

「そういうのが腹立つんじゃ」と

よく言っていました。

 

私はあまりその意味がピンと来ず、

別れてからも日々を過ごしてきましたが、

数年前、荻野文子さんの本を読んで

答えが出た気がしました。

 

荻野さんは、有名予備校の

古典の名物講師です。

(私が高校生の頃、すでに有名でした。

今もそうなのかな?)

 

「ヘタな人生論より徒然草」というその本、

かの有名な徒然草を現代語訳して

荻野さんが解説を加えています。

 

そこに、こんなくだりがありました。

 

荻野さんのマンションに友人二人が集まった時

やはりボランティアの話になり、

有名人のボランティアを

「売名行為だ、偽善だ」という一人に対し、

もう一方の友人が

やはり阪神大震災に遭っている荻野さんに

どう思う?と訊くのです。

 

荻野さんは言います。

理由がどうであれ、ボランティアさんにより

自分はとても助かった。

たとえそれが偽善でも、

自分はとても嬉しかった、

それだけが真実だと。

 

つまり、難しく言えば、

手を汚さない批評よりも

汗して働く偽善のほうが

善に限りなく近いのだと。

 

この言葉に「偽善」と言っていた友人は

黙りこくってしまうのです。

(このあたりはかなり面白いので

よければぜひ元の本をご覧ください)

 

災害のみならず、悲惨な事件などの報道の後、

テレビで、有名人を含むコメンテーターが

「自分にできることを考えたいと思います」と

よく言います。

 

それを聞くと思うのです。

この人、実際には何をするんだろうと。

きっと、言うだけで、

多くは何をするわけでもないのでしょう。

 

募金をするわけでもない。

ボランティアに行くわけでもない。

それこそが偽善だろうと

私は思うようになりました。

 

今回、せめても、募金に行きたいと思います。

皆さまの生活が少しでも早く

少しでも元に戻りますよう

祈っております。