大丈夫な日記

41で事実婚、42と43で出産、なんとかフルタイム勤務中。

3月11日

 東日本大震災から、6年になりました。

あの日、職場で上司がつけたテレビに、

津波で流されていく町が映し出されたのを

つい昨日のように覚えています。

 

私が、大学時代に付き合っていた人は、

阪神大震災で実家が被災しました。

帰省時に、なじみの三ノ宮(神戸)が

ズタズタになっているのを見て

生きた心地もしなかったと

よく言っていました。

 

その彼が、年が経つごとに、

震災報道が減っていくことを

作る側も、しょせん、人ごとやねん、と

つぶやいていたことを思い出します。

確かに、年々、阪神大震災も、

東日本大震災も、報道は減っています。

 

それは復興が進んでいるからなのか、

ほかにニュースがあるからなのか、

それともスポンサーが付かないからなのかは

分からないけれど、

 

でも、亡くなった人にとって、遺族にとって、

ひとつの供養のあり方が、この災害から、

何かを学んでもらうことだとしたら、

報道のチカラって、とても大きいのだから、

もう少し、何かできるのではないか。

そんな気もするのです。 

 

産後、久しぶりに外に出ました。

しばらくこもっているうちに、

だいぶ春っぽくなっていて、びっくり。

明日からまた、散歩に出ようと思います。

 

 

 

 

佐世保のすてきな深夜食堂

先日NHKで、長崎県佐世保市

溝口食堂さんが取り上げられていました。

24時間経営のその食堂に、夜の9時から

明け方まで立っておられるのが、経営者の

溝口美佐子さん。

くりくりした目が印象的な、91歳です!

 

ちょっと観てやめるはずが

あまりに面白く、つい全部観てしまいました。

 

商店街ちかくの一角にある食堂は、

ふつうの食事メニューのほか、ビールや焼酎、

パック詰めにしたお惣菜やグリンピースご飯も売られていて、

お酒とお惣菜でちょっと一杯やることもできます。

 

「実家の食堂を手伝うために

結婚もしなかった」という美佐子さんのもとには

いろんな方が訪れ、話をされていて、

そのさまはまさしく「家庭でも職場でもない

第三の居場所」、サードプレイスでした。

 

サードプレイスは、近年、心身の健康に有用な

ひとつの考え方とされています。

居酒屋も喫茶店も、昔の「井戸端会議」も、

育児でちょっと逃げ込める実家も?、

はたまた趣味の集まりやサークルも

サードプレイス、と定義できるようです。

(あのスタバも、「サードプレイス的な

居心地」を狙って設計されているようです)

 

肩書や社会的地位を忘れて

ほっとできる場所って、大事なのかもしれません。

 

佐世保に行ったら、私も

美佐子さんのところにお邪魔したい‥。

 

 

可動域

今日は冬に逆戻り。

 

生まれて半月足らずの赤子。

毎日見ていると変化がないようでいて、

ずいぶん手が動くようになりました。

というか、手が動く範囲(可動域)が広がった気が。

 

「新生児」は手につかんだものが何かを確認して

自分の世界を広げているそうです。

 

まだウチの赤子は

中身の確認どころではなくて、その前の、

せいぜい何かをつかんだり

自分の指をくわえたりする程度です。

 

が、可動域が広がったということは

その準備、つまり

世界が広がる準備なのかもなあ。