大丈夫な日記

41で事実婚、42と43で出産、なんとかフルタイム勤務中。

最近のニンプ生活(37週)

産院での健診が、

いよいよ一週間に一度となりました。

だんだん千秋楽が近づいてきたなあー。

 

お腹の赤子(以下、腹太郎と称します)は

一週間で500グラムも増えておりました。

(ちなみに私の体重は100グラム増‥ってことは

腹太郎に400グラム取られたってこと⁈)

 

どうりで最近、蹴りが強いわけです。

上の子の時も蹴りは強かったですが、

その比でない。

夜中に起きることも、

イテテ、と思うことも数知れず、です。

 

そういえば今回の健診、

楽しみにしていたのが

NST(ノンストレステスト)。

お腹に電極を貼られ、腹太郎が

陣痛に耐えられるか

データを取られるものです。

 

前回のニンプ生活でこれが楽しかったので

(ふかふかの椅子に40分座ること、

お腹の子が動くとまるでカバの水浴びのような

音がすること、などなど)

今回も密かに楽しみにしておりました。

 

しかして、腹太郎、

検査の途中から寝てしまい

(動きがなくなるので気付きます)、

これではデータを取る意味がないので

助産師さんが起こしに(私のお腹を

揺する)来る始末。

腹太郎くん、夜中には寝ないのに

こういう所で寝るのだね、君は。

 

‥マイペースな赤子が出てきそうです。

 

 

 

 

 

 

 

被災と偽善

西日本の大雨災害に遭われた方に

心からお見舞い申し上げます。

 

私の実家にも避難準備情報が出て

母は避難しました。

(川がすぐ近いので)

また、ニュースで偶然、

昔付き合っていた人の実家にも

避難勧告が出ていることを知り、

久々に彼のことを思い出しました。

 

彼の実家は、阪神大震災でも被災していて

彼はよく、被災ボランティアのことを

「偽善じゃ」と言っていました。

自分は安全な立場にいて、

かわいそうだからと手を差し伸べるのは

偽善だと。

「そういうのが腹立つんじゃ」と

よく言っていました。

 

私はあまりその意味がピンと来ず、

別れてからも日々を過ごしてきましたが、

数年前、荻野文子さんの本を読んで

答えが出た気がしました。

 

荻野さんは、有名予備校の

古典の名物講師です。

(私が高校生の頃、すでに有名でした。

今もそうなのかな?)

 

「ヘタな人生論より徒然草」というその本、

かの有名な徒然草を現代語訳して

荻野さんが解説を加えています。

 

そこに、こんなくだりがありました。

 

荻野さんのマンションに友人二人が集まった時

やはりボランティアの話になり、

有名人のボランティアを

「売名行為だ、偽善だ」という一人に対し、

もう一方の友人が

やはり阪神大震災に遭っている荻野さんに

どう思う?と訊くのです。

 

荻野さんは言います。

理由がどうであれ、ボランティアさんにより

自分はとても助かった。

たとえそれが偽善でも、

自分はとても嬉しかった、

それだけが真実だと。

 

つまり、難しく言えば、

手を汚さない批評よりも

汗して働く偽善のほうが

善に限りなく近いのだと。

 

この言葉に「偽善」と言っていた友人は

黙りこくってしまうのです。

(このあたりはかなり面白いので

よければぜひ元の本をご覧ください)

 

災害のみならず、悲惨な事件などの報道の後、

テレビで、有名人を含むコメンテーターが

「自分にできることを考えたいと思います」と

よく言います。

 

それを聞くと思うのです。

この人、実際には何をするんだろうと。

きっと、言うだけで、

多くは何をするわけでもないのでしょう。

 

募金をするわけでもない。

ボランティアに行くわけでもない。

それこそが偽善だろうと

私は思うようになりました。

 

今回、せめても、募金に行きたいと思います。

皆さまの生活が少しでも早く

少しでも元に戻りますよう

祈っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辰巳渚さん

の訃報を先週耳にし、びっくりしました。

10数年前に「捨てる!技術」を出版され

いまも多くのメディアに出続けておられる、

言ってみれば

「モノは溜め込まずに使おう!」精神を

世に提唱されたパイオニアです。

 

まだ50歳ちょっと過ぎでの急な事故。

ご本人が一番びっくりされてるのだろうなあ。

 

私は10年ほど前、辰巳さんの

「捨てる!技術」を読んでから

モノをきちんと管理する、捨てることに

目覚めました。

 

(余談ですが、辰巳さんが亡くなられ、

もっと多くの「ミニマリスト」の方が

ブログ他でそのことに触れられるかと

思っていたのですが、

意外と少なくて?、びっくり。

おそらく多くの方が直接あるいは間接的に

影響を受けてると思うのですが‥)

 

そして、辰巳さんは事故でしたが、

50歳ちょっとくらいで亡くなられる方は

意外とおられます。

鍼の先生曰く「生活習慣病やストレスが

まとめて吹き出す時期」なのだそうです。

現に、私の母もそのくらいの年齢で

大病をしました(幸い元気になりましたが)。

会社でもそのくらいで亡くなられた方が

けっこうおられます。

 

人生はいつまで続くか

先はどのくらいかは分かりませんが、

自分のやりたいことはちゃんとやって

命をまっとうして生きたいものだなぁ。

 

そして、辰巳さんのご冥福を

心よりお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

本田明子さんとお師匠さん

幼少時から

料理研究家小林カツ代さんの

ファンだった私。

 

最近、そのお弟子さんの

本田明子さんを

よくテレビの料理番組でお見かけするように

なりました。

 

じーっと拝見していると

ところどころ

往年のカツ代さんが

にじみ出ているようで

とても懐かしくなります。

 

カツ代さんはテフロン加工でない

鉄のフライパンを愛用されていたのですが、

本田さんが使われるのも必ず鉄のフライパン。

近年、わざわざ鉄のフライパンを使う

料理研究家さんは、

ほぼ絶滅しているのにもかかわらず、

です。

 

本田さんが、牛乳をお鍋で温めるとき、

鍋の内側をさっと濡らされたのにも

おー、カツ代スピリットが生きている!と

気づきました。

(こうすると洗うのがラクだと

カツ代さんはおっしゃっていました)

 

私が死んでもレシピは残る、と

カツ代さんは生前おっしゃっていたそうですが

その言葉どおり、

相変わらずカツ代さんのレシピで

かぼちゃを煮て、

カツ代さんのレシピで

冷しゃぶサラダを作る私です。

 

(余談ですが冷しゃぶサラダ、

最初に考えついて発表したのはたぶん私、と

カツ代さんはおっしゃっていました)

 

私がピアノのレッスンを一時休止して

三年ちょっとが経ちました。

 

風のたよりで、先生の体調がいまいちと聞き、

心配しつつも、臨月に入って

なかなかお伺いはできないでいます。

 

でも先生、

時々ピアノを弾くと、

先生に言われたこと、

あー、ここはこう言われる

(指導される)なってこと、

自然と頭に浮かんでくるんだよ。

 

師匠はとてもありがたく

そしてとても影響が大きいものだなあと

思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あんずジャムを煮る

住んでいるアパートからクルマで40分ほどの

あんずの産地にある直売所に、

今年も赤子と出かけてきました。

 

産地ならではの生食用をまずは買い、

(やや酸味控えめ、甘さ強めの

生食用の品種があるのです^ ^)

 

それとは別に

加工用というものも合わせてお買い上げ。

こちらは逆に酸味がやや強めですが、

そのぶん、ジャムやシロップ煮にすると

あんずならではの美味しさが

際立ちます。

 

ちょうど産院の定期検診で

実家に帰ったので

(一歳かそこらの赤子は病院で

静かに待つなんて不可能なので、

母に預かってもらい通院しています)、

実家に置いてある、ほぼジャム専用の

ほうろうの小鍋で

あんず1キロ分をジャムにしました。

 

あんずを半分に割ってタネを出し、

重さの4割のお砂糖を足して、

しばらく置いて水分が出てきたところで

中火くらいで火を入れます。

途中で二度ほどアクすくい。

 

煮詰めすぎると、冷めた時に

固くなりすぎるので、

まだまだゆるいかな?くらいで火を止めます。

これで終わり。

とっても簡単です。

 

以前にジャム作りに凝っていた時は

これを瓶詰めしたりもしましたが、

いかんせん、殺菌がめんどいので、

私はできたジャムを

小さなジップロックに小分けにして

冷凍してしまいます。

 

なんと、冷凍しても糖分が多いので

ジャムは固まりません。

食べるぶんだけ、スプーンですくうだけです。

なんてラクなんだろうー。

 

ちなみに、同じ方法は

もちろん市販のジャムにも使えるので、

大きいジャムを開封した時は

半分だけジップロックに入れ、

冷凍したりもします。

久しぶりにフタを開けたら

あらあらカビだらけ‥ということもなく、

美味しいジャムが最後まで楽しめます。

 

さて、しばらくはパンのお供に、

ヨーグルトのお供に、

楽しみが増えました。

あ、炭酸水で割ってあんずソーダにしても

なかなか美味です。

この時期の贅沢です。

 

ふだん、あまり甘いものは

食べない私ですが

(オヤツはせんべいとナッツという

渋さでございます)

これは、赤子の寝ている間の

ちいさな楽しみです^ ^

 

 

 

 

 

 

事実婚を選んだワケ(その5)

私は昔から

結婚するならば

対等な関係でいられる人がいいと

思っていました。

 

経済的にも精神的にも自立した同士で

結婚できればいいなあーと。

(あくまで私の考え方です。

あと、病気とか失業とか

人生には思いもかけないことが

あるので、

その点、対等でいられなくなる場合も

もちろん起こり得ると思います)

 

名字をそのまま、っていうのは

対等の第一歩な気がしたのです。

ちなみにパートナーは

自分が名字を変えてもいいと

一度だけ言いましたが、

本心からではないと分かっていたので

お断りしました。

ふたりとも変えない、で

いいんじゃないかなあー、って。

 

そうそう、いったん婚姻届を出して

どちらかの名字にした後に、

また別姓にするには

現行民法下だと

離婚届を出さないといけません。

 

その点、事実婚

どうしても名字を同じくしたければ

婚姻届を出すだけです。

つまり、気持ち的なハードルもラク。

 

そして、法学部でそんな話を

仲間たちとしていたが故に、

自分がしっかり自立していれば、

(特に経済的に)

事実婚だからと言って

特にデメリットも無い、と

知っていました。

現に、事実婚の弁護士さんは

けっこういます。

 

そんなこんなで

迷うことなく、

事実婚を選んだ私でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事実婚を選んだワケ(その4)

さて、慣れ親しんだ名字を変えるのが

嫌だったと書きましたが、

嫌以外にも理由があります。

 

結婚すると多くの人が出すだろう

配偶者と連名になっている年賀状。

その多くは、

当たり前のように、まず夫の名字、

名前があり、

その次に妻の名前だけがあります。

 

これが私、あんまり好きでない。

たとえば、名字を変えた妻のほうが

友人だったとすると、

今まで一人の氏名で年賀状を

くれていた友人が、

急に「二人でひとり」になったみたいで。

(感覚の問題なので

気にしない人がほとんどなのでしょうが)

 

小さな頃から男女平等の教育を受けてきて、

自力で大学にも入り、就職し、

いろんな思いをしながら働いてきたのに、

あっさり「二人でひとり」みたいになるのは

私自身は、抵抗がありました。

 

そして、私が影響を受けてきた人には、

少なからず夫婦別姓事実婚

シングルマザーを貫いてきた人がいます。

 

今は政治家をされている福島瑞穂さん。

(私が学生の時、

著書を読んだ頃はまだ弁護士さんでした)

エッセイストの山本ふみこさん。

鍼灸師田中美津さん。

(新聞の連載をきっかけに

田中さんの東洋医学の本を買いました。

鍼灸院に通ったり、自分でお灸を

したりもする私です)

それから、作家のよしもとばななさん。

書ききれませんが、

まだまだ大勢おいでです。

皆さん、第一線で活躍されて、

とても生き生きされている。

 

名字を変えることなく、

自分らしくいられるのであれば、

そのほうがいいなあと

私も(結婚願望はありませんでしたが)

そう思うようになりました。

 

赤子が寝たスキに書いているので

まとまらなくてごめんなさい。

このテーマ、

まだもうちょっと書くかも知れません。