大丈夫な日記

41で事実婚、42と43で出産、なんとかフルタイム勤務中。

新生児微笑

新生児の時期(生後1ヶ月)を過ぎたとは言え

赤子、ときどき、寝ていながらも

口角を上げて

ニコーッと微笑んでおります。

 

おー、新生児微笑!

なかなか癒されます。ニコ(^ ^)

 

初めてハハになった時は

これにびっくりしたものですが、

新生児ならではの

不思議行動?がまだ

いろいろとあります。

 

薄眼を開けて寝ていて

いきなり白目をむく。

(ときどき怖いです‥)

 

横になっている時に

でかい音を立てると

びっくりしたんだよもお、とばかり

手だけがバンザイする。

 

この世に来てわずかなので、

魂がまだ肉体に慣れてないのだなあと

いう感じです。

ロボット(肉体)をまだ操りきれてないと

いうか。

 

そして、約一年半ぶりの新生児ですが、

びっくりしたのは、早くも

上の子の時はどんなだったか、

自分がどんどん忘れてる!ということ。

 

それだけあっという間だとも言えますし

毎日、自分が必死なんだとも言えます。

あわわ。

 

たぶん最後の育児、

いろんなことを目に焼き付けながら

日々を過ごしたいものですが、

いかんせん、バタバタしております。

 

落ち着いたかーさんには

まだまだ遠い‥。

 

 

 

 

 

 

 

 

司法試験の勉強のやめどき

母校が司法試験に力を入れていたためか、

たまに、その勉強をしている人や

本人の周りの人から、

 

いつまで勉強を続けるか、

止めるとしたらいつなのか、

また、本人にはどう接すればいいのか、

相談されることがあります。

 

恩師は言っておりました。

何年間と期限を決めて

チャレンジしなさい。

期限を過ぎたら

諦めなさい。

私は司法試験崩れ(司法試験を

ずるずる受け続けて受からず、

かつ、ずーっとそのことを

引きずっている人です)を

たくさん見てきました。

俺はこんなところにいる人間じゃない、

そんなプライドばかり高くて

でも社会では役に立たない人間が

ごまんといます。

そうなっちゃいけない。

一生が台無しになる。

だから、期限を決めてから

始めなさい。

もし期限を決めないで始めて

困っていたら

あと何年、と決めなさい。

 

かくいう実は私自身も、

20〜30代にかけて

ある資格試験を10年ほど受け続け、

そして諦めたことがあります。

 

どうしようか迷いながら、

ひとり旅に出たその先で

恩師の言葉を反芻し、

諦めることに決めました。

ダンボール箱ふたつぶんのテキストも

きれいさっぱり捨てました。

 

いろんな考え方がありますが、

いま思えば、

貴重な20代30代をずいぶんと

勉強に使ってきちゃったなあ〜。

 

その時はそうしたかったので

私は後悔はしていませんが、

でも、時間がもったいなかったとも

思っています。

 

私自身のしてきたことは

アドバイスにはなりませんが、

相談されたら、恩師の言葉を伝えています。

期限を決めてやるべきだ、と。

司法試験に限らず、

ひょっとしたら夢を追う人の多くに

通じる考え方かもしれません。

(もちろん、あきらめないからこそ

かなう夢というのもありますが、

見極めどきが大事な夢、というのも

ありましょう)

 

がんばれー、みんな、

そして私!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作る楽しさ

音楽にせよ美術にせよ、

聴くだけ見るだけよりも

自分でやった方が

脳の満足度は高いと

聞いたことがあります。

 

つまり、受け身ではなく

たとえ下手でも自分で作り出すほうが

満足度は高いのだそう。

 

楽器を長年やってきたので

あーそうだろうなあ、と思います。

自分で演奏するほうが、

ただCDを聴くだけよりも

格段に楽しい。

それが正直なところです。

 

ある有名な俳優さんが

プライベートで背中を丸めて

淡々とプラモデルを作り

楽しそうにオリジナルな色を塗っているのを

テレビで見ましたが、

きっと楽しいんだろうなあ。

 

話は飛びますが、

私、子どもにあんまりおもちゃを

買わない派です。

 

モノを増やしたくないこともありますが、

どうせ買うなら、

特定の決められた用途で遊ぶ

いわば受け身のおもちゃよりも、

いろんな遊び方を

自分で考えられるようなものを

買ってあげたいなあー。

(実家にはレゴがありますが、

私も弟も、ときどき来る友人たちも

これでずいぶん長い間、飽きもせず

遊んだものでした)

 

もうちょっと言うなら、

紙とペン、とか、牛乳パックと色紙、で

子どもはけっこう長いこと遊べます。

ある意味、それでいいのかも知れません。

自分も幼い頃、そうだったもんなあ。

 

ここまで書いて、

ひょっとしたら、

ネットサーフィン(にハマってる人、

ついついやっちゃう人、多いですよね。

私もたまーに楽しみますが)を

止める方法も同じかもなぁ、と

ふと思いました。

 

受け身でウェブの海を

サーフィンするのでなく、

逆に作る側、

発信者側に回ればいいのかも‥

自分でブログとかツイッターとか

どんどんどんどんすればいいのかも‥

受け身だけでは得られない

新たな発見があるかも知れません。

 

さて、赤子、

すうすう寝ています。

しめしめ‥

もうちょっと寝ていておくれ。

 

偉そうなことを書いておりますが、

いまは作る楽しさを感じるほどの時間もなく

楽器も何も、しばし辛抱、の

かーさんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤子と防災と

生まれて1ヶ月の赤子。

まるまると太ってきました。

 

大食いくんなので、そろそろ

5キロになると思われる彼、

抱っこすると、みっしりとした重さが

伝わってきます。

 

‥かーさん、君をいつまで

抱っこできるんだろうか。

早くも自信はありません。

 

さて、最近、

大雨や強風、地震といった

災害が多発しています。

 

何度か書いたように

避難したこともある私、

本当に人ごととは思えません。

そして、被災された皆さまに

心からお見舞い申し上げます。

赤子を抱え、なかなか動けませんが、

それでも自分にできることを

ささやかでもしたいと思っています。

 

赤子が生まれて、

いざという時、何を持ち出せるのか

考えてきましたが、

本当に大きい地震なんかの時は

おそらく、赤子を抱えて逃げるだけで

精一杯だろうと感じます。

 

重い水なんか、とても持ち出せない。

でも、ミルクやオムツは

待った無しの必需品です。

きっとこの空の下、

同じように赤子がいて、

避難して、大変な思いをされている方も

たくさんいるはず。

 

普段から何ができるのか、

いざという時どうすべきなのか、

そして被災された方に対して

何ができるのか、

 

もう一度考えて、

実行していかなきゃと思わされます。

 

赤子が寝たすきに

ちょっとずつでも。

 

 

 

 

 

 

「子どもに安心感を」

新学期になったためか、

今日のNHKあさイチ」のテーマは

子どもの不登校でした。

 

私は途中からしか見れてないのですが、

出演されていた臨床心理士のかたが

「子どもには『安心感』を

与えてあげてください」と

おっしゃっておられたのが

印象的でした。

 

私、会社で人事にいたこともあり

産業カウンセラーさんと接することが

多々ありました。

その中で、いかに多くの人が

子どもの頃の影響を

大人まで(ともすれば一生)

引きずるかを知りました。

 

安心感、

別の言葉で言えば(ニュアンスは違いますが)

自己肯定感。

 

ピアノでも多くの親子に接する機会が

あったので、

その大切さは分かる気がします。

 

人生はいろんなことがありますが、

赤子には、

自分を卑下して過ごすのでなくて

いろいろあるけど、まあ、

よくやってるわ自分、

なんとかなるだろう自分、と

自分を思えるようになってほしいなぁ。

 

抽象的ですが

そんなことを思いました。

 

そして、私の見聞きしてきた

経験から言えば、

 

死ぬくらいなら

学校なんて行かなくてもいい、

自分や自分の大切なものを

どうしようもなく傷つけられるなら

逃げていい、そう思います。

 

それは学校も会社も同じこと。

逃げて、次の機会を待てばいい。

元気があれば取り返しのつくことが

人生にはたくさんあります。

 

みんな、私、

がんばれー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実家の片付け、進まない

離れて暮らしている弟が、

生まれた赤子に会いに来てくれました。

 

ちっちぇー、などと言いながら沐浴をさせ

ミルクをあげ、赤子をぐりぐりとなでて

じゃまた、と彼は帰って行きました。

ありがとう、弟よ。

 

さて、弟は今、断捨離をしようと

思っているとかで、

どこからどう手をつけようか‥という話を

しておりました。

 

明らかに不要なものを捨てても

それは全体の1割ほどで、

昔ハマって集めたものとか

高価なものとかは

やはり捨てづらいのだとか。

 

(ちなみに、大がかりな

断捨離をしたことのある私、

個人的には、そういったものに

手がつかないと、所有品の総量は

減らないと思います‥が、

そこを思い切るのが一番大変でした)

 

CDとか捨てづらくてさー、

弟がそう言うと、

それまで黙って聞いていた母がひと言、

「もったいない」と

つぶやきました。

あちゃー。

 

いちど実家の大断捨離をした時に

60本のお銚子(おちょうし)だとか

古いタオルなんかを捨てまくった話は

書きましたが、

(そして、そのたびに母の許可は

得ているはずですが)

 

それ以来、母は捨てるという言葉に

非常に敏感です。

二言目(ふたことめ)にはすぐ

もったいない、と言います。

 

でもかーさん、

この広い古い家、

あなたがもしいなくなったら

片付けるのは私と弟なんですよ?

そう思いますが、言いません。

(堪忍袋の緒が切れたら

そのうち言うかもですが、

この家は母の家で、

私たちが現在メインに

住んでいる家ではないので)

 

友人にいたっては、

彼女が捨てたはずの服を

お母さんが拾って着ており

大げんかになったそうです。

私も捨てたはずのポットなどを

母に拾われたので(それも使いもせず

物置に放置)、友人の気持ち、

よく分かります。

 

そんなわけで

進まぬ、実家の片付け‥

きっと全国で多くの人が

困っていることでしょう。

 

どうしたもんか‥

 

でも、ちょっとずつ、赤子が寝た隙に、

私は自分のものを処分しております。

 

できることから私はやるよ、

かーさん!

 

 

 

 

 

それ以来、

 

 

 

 

 

「どこかにベストなやり方がある」

私の出た大学の法学部は、その業界?では

有名なところ(のはず)ですが、

面白かった授業は憲法でも民法でもなく、

 

法医学(死体の検視結果で死因がわかるって

いうアレです。怖い写真をたくさん見た)と、

一般教養の時に受講した

「健康スポーツ総論」という講座でした。

 

後者はもう教授の名前も覚えてないのですが、

ある時、彼は、子どもたちにスポーツを

教えた時の話をしてくれました。

 

漠然と教えるのでなく、

その子が何を分かってないのかを押さえて、

かつ、どう伝えたら一番いいかを考えて

レクチャーをすると、

それまで例えば早く走れなかった、

泳げなかった子が

突然できるようになったりすると。

 

「皆さんも人生のどこかで

誰かに何かを教えることがあれば、

必ずどこかにベストなやり方がある。

そのベストな方法を探す努力をしないで

ただやろうとするのは

時間のムダです。

お互い不幸になります。

まずは焦らず、ベストなやり方を

探してください」

先生はそうおっしゃいました。

 

私はその言葉をノートに書き留めました。

それだけをしっかり覚えています。

 

以来、誰かに何かを教える時に限らず、

仕事をする時も、

家事をする時も、

困った時も、

まずはベストなやり方を考えることが

習慣になりました。

 

どうしたら効率的か。

どうしたら一番いいのか。

どうしたらこの状況から抜け出せるか。

 

四半世紀が経って、

先生の顔すら出てこない私ですが

(すみませぬ先生)、

こうしてその時の教えは役に立ち、

私を時には支えてくれています。

 

先生、ありがとう。

赤子にもそのうち、

この言葉を伝えたいと思いますが、

ミルクを飲んで爆睡しています。

‥ありゃ、まだまだ先のようです。